理念

私たちの物語 
―「もう一度海へ行ってみたい」を実現するために― 

前理事長 服部 潤吉

  私は長い間、精神科の病院で働いてきました。寒々としたコンクリートの病棟と、畳の病室の時代でした。そこにも何百もの人生がありました。あるおばあちゃんの患者さんは言いました。「オレはこんな石の家で死にたくないて」と。またある中年の男の人は「もう一度海に行ってみたい」と。私たちは、いろいろな人の協力を得て、街で暮らすことを支援してきました。訪問看護・指導などというものが全くない時代から、アパートを訪ね、支援してきました。退院者の小さな言葉に心をうたれ、病状の悪化で入院を余儀なくされるときは唇をかみしめてきました。その中で感じてきたことは、たとえ病気になったとしても、その人の夢や人生は失われてはならないということでした。 

 ただ残念なことは、せっかく退院してもその生活は貧しく、その方の夢や人生はなかなか実現しなかったのです。毎日カップラーメンが続き、部屋は足の踏み場もなくなる方もいました。寒い冬には水道が凍りました。再発や身体疾病の悪化がしばしばでした。それでも多くの人たちは生活の「自由」をかみしめ、毎日を大切に生きていました。また入院患者さんは、病状や生活障害、長期入院などのため、そのような一人暮らしですら困難であきらめていた方も多かったのです。 

 2003年9月、もう少しあたりまえの生活を求めよう、病状が重たくても暮らせる場所、仲間の支えのある暮らしをめざして、私たちは上除寮を開設しました。8人の仲間が暮らし始めました。それがようやく軌道に乗ったころ中越震災が起こりました。当時、食事つきの民間アパートで13人の方たちが暮らしていましたが、その建物の設備が全部だめになり家主はもう再建できないと言ってきました。2004年10月のことです。 

 メンバーたちは避難所から仮設へ、苦しいさすらいの暮らしをまる2年にわたって続けました。何軒も家を探し、県や市と交渉しました。洗濯機の水があふれ床が水浸しになったときは二人の仲間は一緒に寝てくれました。雪に埋もれた仮設住宅の中で途方に暮れた時も何回もありました。いよいよ困って、何軒かに分かれて暮らすしかないのかと思ったこともありました。しかし、これにはメンバーがはっきりと反対しました。「俺たちはずっと一緒に暮らしてきたんだ」仲間の力はしっかりと根っこを持っていたのでした。こうしてグループホーム虹が2006年12月竣工しました。 

 私たちはこのささやかな歴史の中で多くのことを学び、譲れないものとしてこれからも守っていきたいと思っています。

長岡メンタルヘルス協会の希望と課題



重症でも長期入院でも町で暮らす 

自分の希望と人生を取り戻す 

その人に応じた必要な支援をする 

あたりまえで豊かな暮らしを支える 

仲間と共に生きる 

地域と共に生きる 

こんな石の家で死にたくない                                    
上除寮 2003年9月開設 
食事つき民間アパート                                                   
仮設住宅もみんなで生きぬいてきた  13人の仲間は地震の日まで、ここで暮らしてきた
仮設住宅の暮らし                                                        
   虹 竣工式 2006年12月